猫のつぶやき(喫茶店という居場所)



弾む声を制しながらひそひそと語り合うカップルなど見当たらない。この風景も当たり前のこととして受け止める時代なのだと今更ながら感じ入る。

珈琲通でもないわたしには、タリーズもシルビアも、はたまたスターバックスもドトウルも、強いて言うほどの違いはなく、一見見映えのいい客にはそれなりに心持ち優しく丁寧であり、慎ましげな微笑みも、一瞬でその姿形で判断し、それ相応の分だけ放散するウエイトレスは、何処の店も大差はない。客層が店の雰囲気や確執を作り出すのであろうか。


田舎っぺの高校生が、街の喫茶店を借り切って開かれた同人会に招待され、ガチガチになった心臓とぱくぱくになった肺とをなだめすかし、「喫茶店なんて何度も来たことあります」といった風な演技をしたのは一番館という名であった。


(一番館)・・・・・・・・幻のように過ぎ去った。

60年以上の歳月は、深い皺を刻み、心臓を強固にし、男女同権の恩恵に甘んじ、義務を怠り権利を主張する。いい時代なのか。良き時代なのか。


来年のことを言うと鬼が笑う ・・・・・・では、60年以上前のことを言うとどうなるのだろうか。



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