猫のつぶやき(今を生きる)

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半世紀以上もこの街に住み、甘いも辛いも知り尽くすに十分な年月を経てきたのに、実は何一つ誇れる実証もない我が身の存在であることに唖然とする。


子育てというより、子に育てられたような頼りない親でもあった。「始めちょろちょろ中ぱっぱ」と言う飯の炊き方さえもおぼつかぬ、味噌汁の味も、薄い日や辛い日で一向に定まらず、舌が記憶している母の味を目標にして、悪戦苦闘した半世紀だった。


この街へ来た頃の風景も、今は跡形もなく、田園風景は甍(いらか)のうねりと化し、バスが家々の軒をかすめてぎりぎり通り抜けられた駅前も、戦後のマーケットの量り売りだったバターや味噌のごったがえった匂いの中で、引揚者の店主の方言が様々に飛び交い、天井の低いただだだっ広い屋根だけの店はいつも賑わっていたことなど、今は懐かしい。

戦後の目覚ましい復興、やがて「戦後」と言う言葉も消え、バブルへと時代は走った。


ふと立ち止まれば、あの人もこの人もこの世を去り、秋風に任せて揺らめくコスモスの群生が、在りし日の面々を思い出させる。

こうしてささやかに歴史を刻みながら、あちらの世界の人達とも繋がり、時は「令和」と改元された。


今を、私は確かに生きている。何かを求めようとする気迫、何かが出来るのではないかと言う希望、その心意気こそがわたしの誇れる実証ではなかろうか。

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