猫のつぶやき(戦争)

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世界中が新型コロナウイルスと戦っている。今まさに戦争である。

先の戦争中のことは、幼なかった私の脳裏に、70年以上の時を超えても思い出せることがある。記憶というのは、実に不思議なもので、火山の噴火でできた山が、長い年月の風雨で削り取られ、その芯をなすものだけが際どく残り、まるで元の姿とは違った形をしているように、余分な形容のない真実が、ある意味懐かしく姿を見せる。
警戒警報、そして空襲警報、遙か山の横腹を這うように、延々と続く逃げ惑う人間の黒い線。

「うちら(私達)逃げんの(逃げないのか)」
そう聞く私の中では、遠足にでも行くほどの好奇心でしかなかったに違いない。
「兄ちゃんが飛行機で迎えに来るから」
そう言って母は私達を安心させた。
兄は、終戦の数ヶ月前、日本が負けたことも知らず飛行機もろとも空に散った。彼の20年の生涯は、遺骨となって我が家に戻って来た日、近所の人たちが大勢出入りし、幼い私は久しぶりのにぎわいに喜んでいた。母の無表情な顔と国から頂いた落雁の箱が、づっと今も心の片隅に残った記憶と共にある。

年の離れた兄の顔も、その存在すらも知らない。息子を再び見ることも出来ない母の心は、私が母となって初めてその深くを知り、泣くことも、悲しみを語ることもしなかった母の絶望が、伝わって来る。
その時から母は、心の底から笑うことも、自分の幸せや楽しみなど考えもしなかったのではあるまいか。母親とはそういうものだ。

すでに戦死していた兄が、空襲警報が鳴っても、きっとみんなを飛行機で迎えに来ると言う母親の言葉は、まんざら空想ではなく、母の確信であったに違いない。私達家族は、防空壕に入ることもなく、強い母の信念に寄り添って終戦を迎えた。

戦後の貧しさも、戦後の復興も、多くの人間の骸の上で成り立っている。
天災は忘れた頃にやってくる。平和、平和と声高々に言うは易し。 目に見えぬ敵との戦いは、「戦争」に違いない。


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